死を語る

「死」を語る会

オンラインからの参加3名
サロンからの参加5名(スタッフ込)

ありがとうございました。




重いテーマでもありましたが
1人1人の死に近づいてしまった経験、感じた事

家族、友人の死を見てきた経験と感じた事

そして、やはりこうやって話せているわけですから
生きている理由や、生きるという価値観の話を

各自、各々が語りあいました。

生と死は、やはり対になるものであり、行き着く所はなぜ生きるのか。

自死する事の議論もあり

久しぶりに
ここは、また突き詰めたいな

そんな風に思う会になりました。

生きる議論
死する議論

どちらも、生きているからできる事。

そして、参加くださった方から、スタッフ共々
終わってからの感想や感じたことをいただきました

その後の感想や話せてなかった事などもメッセージやSNSでアップしてくれたものです

==ゆるん 志水==
『死』を語る

語る会!久しぶりの開催でした

死に向かう時の思いや状況、方法

いろんな話がでてきました

もちろん私も過去に『死にたい』と思ったこともありますよ

・家族にとって私は必要のない子
・生きたいところで生きれてない
・この状況から抜け出したい 
etc…ね。

話をして、聞いていて

私のひろったもの

・救える命はある
・自殺をする時は、ちゃんと家族や大切な人を説得する
・『死』を選ぶもひとつの生き方
・『死にたい』の隣は『生きたい』
(思い出したら付け足していきます)

自殺を考える人へ
人間は明日、事故で死ぬかもしれません
ただ、普通にあなたも私も明日もいる…と思っています
急にあなたの存在がなくなってしまう
そう考えた時、残された人たちは行き場のない思い、亡きあなたの姿をいつまでも負い続け苦しみます
『死』なないでほしい
道はきっとある
大切な人を説得してください
大切な残した人に迷惑をいっぱいかけます
ならば、生きて迷惑をかけて下さい

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==ゆるん 平山==

『語る会~死を語る~を終えて』

今回、わたしは、スピーカーといって、テーマについての口火を切る役割を貰っていました。

近年、近しい身内を二人見送り
死について、こんな考えたことなかった、、、というくらい
死について様々思い巡らせた期間でした、、、

お盆を迎えると
また、死につき、様々に思う、、、

そして、死を語る。の日がやってきた。

何を話すか、、、
なんにも考えずに臨んだ

ていうか、どう切り込みを入れるか、、、考えられなかった
もう、口から言葉がでるまんま、、、うまく話せなくてもいいや、、、思ってること、出る言葉をみんなに話して

みんなは、それをどう受けとめて、どんな話しをするだろう、、、
ノープランで口火を切りました。

冒頭から涙とまらず 泣きたくないな、、、と思っていたけど
あ、いや、泣きたかったんだろな、、、思いっきり。

泣いて語って泣いて語って
うまく話せなかったかも
でも、積もり積もったぐるんぐるんと渦巻いてた思いを吐き出させてもらえて

わたしの中で
ひとつ、吹っ切れたものがありました。

逝ってしまった人
残された私たち、、、

逝ってしまった人の死に苦しんでいる人を見ていて、その姿も、、、苦しくて辛いのですが、、、

それを見て、わたしも苦しむのは、辞めます。

そして、苦しんでる人、悲しみから中々たちなおれない人。

静観していてあげようと思います。苦しんでる姿を、悲しみにくれてる姿を、ただ、何も思わず言わず、その人の気が済むまで、じっと、となりで静かに見ていようと思う。

つられ苦しみ
つられ悲しみ
引きずっていないで
しっかり、歩かなきゃだ。

さて、そろそろ、仕事の時間~

よし!今日も、笑って生きる!
♪(´ε` )

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==参加者 Aさん==

先日、ゆるんの語る会で『死』について、語り合いました。

不謹慎かもしれませんが、面白いテーマだと思って参加。
あくまで主観です。

オンライン参加し、上手く話せなかったけれど、ここで書き足す事にすると…「生きるも死ぬも自由」

これだけだと言葉足らずになるので、もうちょっと細かく書くと「安楽死OK、自然死、老衰OK、死のうと思ったけど行きたいOK、ただし、本人と周りが納得してるなら」ということです。

自殺はまぁ、綿密な計画の上で行うのなら、ですが、突発的なのは「特殊清掃」が必要だったり、周りに迷惑かけるのでどうかな。とは思うけど、死ぬことに関しては私は「止めません」が、引きずり戻せそうなら引きずり戻します、でも、その後また死にたくなったなら知りません。
繰り返し起こると、引きずられる可能性があるからです。
それに、生と死は表裏一対ですので。

私のモットーは偽善だとかヒーロー志望だとか言われますが「助けられる命は助けたい」ということ、献血を続けるのも、骨髄提供をするのも、外出中にケガした人に出会った時でも「助けられそう」なら手を差し伸べる事。
例え手を掴んでもらえないぐらい重篤な方でも、可能性があるなら手を差し伸べたい。

私はこれを掲げてる以上、この旗を降ろす事はないでしょう、今の自分の理念でもあるので。
死ぬことはなかったけど、死を覚悟しようとした人間にしてみたら、自分の血で助かる命があるならその為に生きようと思う道があってもいい。
偽善とでもいうがいい、やらぬ偽善よりやる偽善だ。
やれない人は別のやり方を考えたらいい、決して一つではないのだから。

そして最後に、昔は泣くこともあったけど、死に対してドライになったかもしれない。とお話しましたが、それは仕事に関してだけで、うちは高齢者施設なので、自ずと死と隣合わせな仕事です。
一年に数回あるような御見送りを前に、いつしか泣く事はなくなり「あー、もうすぐ最後がくるな」と見たりします。
人間の脳は曖昧です、ずっと覚えてる事はあっても時間と共に「あの人はこんな喋り方をしてたような」「あの人の顔はどうだったかな?」とハッキリと思い出せなくなっていくことがあります。
それは決して悪い事ではないと思っています、忘れる事が怖い。と言う方もいますが、私の考えでは「忘れていけるほど、乗り越える事ができた」と思っています。
いつまでも思い出して涙するより、忘れてしまってた。と言えるぐらい薄情でもいいんです。

辛い事の気持ちを切り替える為に、法事だったりがあるわけで、いつまもで思い出してメソメソしてほしい。って思ってないかと。
でないと、いつまでも上に行けないじゃないですか、無事天国いけなかな?って悩むより「天国いってたんだし、こっちはこっちでやるよ」ぐらいの方が安心してくれると思うのよね。

と、主観を書いてきましたが。
何だろうね、書き出すと止まらないね。
もっと書きたいけど収拾つかなくなるなー。

人と死について語るなんて楽しいイベント、またやりたいですなー、楽しい時間をありがとうございました。
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==参加者 Bさん==

一言だけ言い忘れたなと。
「助けられるなら助けたい」か「救えるなら救いたい」か忘れましたが、
その「助ける(救える)」選択肢には「死」も含まれる、と。
「死」が救いになる(かもしれない)、ということを否定してはいけないんじゃないかなと思います。

あ、あともう一つあった(笑)。
医療従事者は、やはり救命のための仕事で、その救命に「死」が含まれていないのが現状なんだと思います。
なので、看取りに関する相談に対して、職務上積極的なアドバイスはできないのかなと。
また、今はモンスターペイシェントが少なくないので、医療訴訟のリスクを考慮すると、患者家族に任せざるを得ないのかなと思います。

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==ゆるん さっちん==
「死」を語る会に参加させてもらい、人それぞれ「死」に対する価値観が、たくさんあることを知ることができました。
「死」に対するイメージがだいぶ変わりましたし、また、自分の「死」に対する思いも、それはそれで大切だと思えることもできました。
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次回は「うつ」を語る会です
10月のどこかの土曜日に開催します

オンラインから、サロンで、、
ご興味あるかたはぜひ

のぞき見ゆるん
ゆるんを作るきっかけや、形にした道のり
こんなことしているよって、ゆるんの様子がわかります