「10年」一 10年前のあの日part2

「10年」

一 保護されるまで

保育所の前に停まった車からは、私と同年代の女性と少し若い男性が降りて、こちらへ向かって歩いてきた。

そして少し遅れてパトカーが停まった。

私の心臓が激しく鼓動を打った。

私たちの何かが、大きく変わる。
しかし安心や期待だけではない。

恐怖で汗が滲んできた。

2人の制服の警官も近づいてきて、私と息子を囲んだ。

車から出てきた女性に促されて、私と息子はその車に乗った。
外からは保育所の先生方が心配そうに私たちを覗き込み、
「お母さん、これでもう大丈夫。息子ちゃんと頑張って。」
と、必死で訴えかけてきた。

これが保育所の先生方との最後の会話となった。

私たちを乗せた車は、パトカーに続いて走り出した。車内では少し「シェルター」の話をされ、行く意志があるかどうか問われた。
「行きたいです。」
それだけ答えたような気がする。





そのまま警察署に連れて行かれ、一旦車を降りて署内で話を聞かれることとなった。

事情聴取である。

私と息子は、女性の警官に簡単に身体検査をされた。

息子には痣や傷は無し。私にはいくつかの痣や傷があり、中でも左腕にある切創には警官からしつこく尋ねられた。

事実を話すならば、前日に夫に剃刀で切られたのだが、この先また夫の元に帰ることになるならばそのことは黙っている方が賢明だと思った。

「生活に嫌気がさして死のうと思って切ったんです。」

警察としては、暴行罪、傷害罪、これらに値するかどうかそれが重要である。

私が自分でしたと言えばどうしようもないことであって、被害届を出すように強要もできない。

夫からの報復が怖くて全てを話すことはどうしても無理で何もしなかった。

「言いたくないことは言わなくていい。旦那さんから捜索願いが出されても、ちゃんとしておくからね。心配しなさんな。」
一人の男性の警官が言った。


息子はお腹が空いたと言って、パンとジュースをもらっていた様で、少しホッとした。


時刻は19時を回っていたと思う。

どうなるのかな?

どっと疲れが押し寄せてきた。

その時、助手席に乗っていた女の人が
「場所は言えないけど、あなたたちを保護するために、これからシェルターに移動します。」
と言い、私と息子を再び車に乗るように促した。

運転席の若い男性は市役所の子育て課の職員で、助手席の女性は最近時々保育所で見かけた人で、その人も人権課の職員だと言っていた。

私と息子のことは、保育所から何度となく相談があったらしく、息子を迎えにいく時間によく話しかけてくれた人達だということも思い出した。

車の中ではいろんな話をしたが、今となっては思い出せない。息子は私に寄りかかりながら、
「ママ、どこ行くん?」
何度も繰り返していたような気がする。

そういえば着替えもない。お金もあまりない。
これからどうなるんだろう?
私の頭の中は「無」に近い状態で、そのまま身体から魂が抜けてしまうのではないかという感覚に陥っていた。

車の中から後ろを見ると、パトカーがついてきている。


どれくらい走っただろうか?
ある建物の前で車は停まった。

ーーーーー続ーーーーー

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作・
皐映月 紅歌
(さえつき あか)